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2014年8月16日 (土)

第51回楠公回天祭の開催御案内
  (詳しくはHP 
http://credo99.s1.weblife.me/をご覧下さい)
  日 時 平成26年9月7日(日)午前10時~
  場 所 回天楠公社 下呂市信貴山山王坊境内
      
JR下呂駅から徒歩25分、下呂交流会館行バス10分
  日 程
 9:00~受付
      10:00~祭典
      11:00~講話「楠公回天祭五十年誌の刊行に思う」
            岐阜県教育懇話会事務局長 橋本秀雄
      12:00~直会

  備 考 当日参加可能
      
玉串料 2,500円
      直会(昼食)1,000円
 
  宿 泊 
旅館「睦館」一泊二食 12,000円、
            一泊朝食 9,000円
      申し込みは8月20日までに回天楠公社奉賛会事務局
                                坂口浩之へ
      〒500-8814 岐阜市今川町2-3
                         ℡058-263-8945
            


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長年積もり積もった一日本人の思い

○ 終戦の日を過ごして
昭和20年から数えると、終戦の日は今年で70回目となる。You Tubeで『氷雪の門』(村山三男監督)を観た。昭和49年封切り予定だった映画が、外圧に屈してお蔵入りとなり、近年やっとリバイバルされたようだが、156分が119分に圧縮されたようである。一部映像の劣化によるものか、何かの意図がはたらいたのかは不明だが、露スキの残忍性を暴露する部分が大きく削除されたかも知れない。
拙者が高校生だった昭和49年頃はまだ、マルクス・レーニン主義全盛の時代であった。毎日早朝に登校して、赤色主義の教師たちを糾弾しようと模造紙に「赤色授業を行なう者には教壇に立つ資格がない」と書いて訴えた。結構みんな足を止めて読んでいたが、ついに教頭に呼び出されて散々説教をくらった。こっちは退学をかけてもやるつもりだったが、通っていた有名進学校には失望した。恩師を囲む同窓会などへは参加したこともない。
当時『氷雪の門』が予定通り放映されていたら、終戦後に何が起きたのかを多くの若年世代が知ることになったのにと、残念である。いつソ連が攻めてくるかわからないとの懸念があったので、日本共産党が街頭演説にくるたびに罵声を浴びせ、道行く人たちからも注目を浴びるはめにもなった。共産主義は間違いだと世の中がやっと気づいたのは、ソ連の崩壊後のことである。天安門事件も起きたので、左翼思想は瓦解したはずだ。

○ 祖国は未だに占領下にあるのか
ところが、その後は支那と朝鮮に配慮する時代へと移行した。戦後70年近く経ってもなお戦勝国を気取る者たち(日本は国民党と戦ったのであり共産党は戦後の内戦に勝利したに過ぎない)、日本の庇護と血税のもとで改革され自力では独立できなかった者たち(万歳事件なるデモをしたからといって自立できるわけがなかろう)に、政治が屈服を積み重ねてきた。たった一度の戦争の勝敗が善悪に摩り替えられた為である。もっとも概ねは米国に敗れたのであり、支那その他の国に対してはむしろ戦闘的には勝っていたといえるが‥。ソ連に対しては言語道断、何をか言わんやである。
靖国参拝は国内問題ではなく政治問題だと、国賊NHK・朝日などがトップで報じ、今夏も国を代表する首相はじめ多くの閣僚たちは靖国参拝を怠ったが、そのツケが即外交的譲歩につながることになる。揺すりタカリの常習犯に対してか、祖国に一命を捧げられた英霊に対してか、一体どっちを向いて行動しているのか。
根はGHQ占領時代にある。アメリカは間接統治という手法を取った。日本がアメリカの指導のもとで、恰も自ら戦後の民主化を断行したと。冗談ではない。我国の歴史・伝統・文化の破壊がここから始まったのである。先祖の遺徳も戦前までの美風も道徳も大和魂も悉く台無しにしてしまった。立志よりも個人的な自己実現・欲望のために人生の時間を費やし、国の行く末を憂えることもなく、自己の家さえも顧みない日本人を量産している。

○ 陸奥宗光翁に学べ
ちなみに、わが母は弟を出産するときに「陛下に忠なる者を一人、この世に生み出す」と言っていた。そうして生まれたわが弟は、今般防衛省から外務省に転籍し、支那の外交員と対峙している。
先週、帰阪した弟から聞いた情報によると、オランダのハーグにおいて31カ国が注視するなか、外交交渉の責任者としてOPCW(化学兵器禁止機関)で支那と八回にわたって協議をしているという。支那大陸に遺棄されている化学兵器の処理問題について、数年前に交渉に当たった外務省職員が支那側に全面降伏して、全て日本の責任と認め、日本の資金と人員をもって撤去すると書面で約束してしまったという経緯がある。もともと日本側には何の責任もないはずなのに、外務省とは一事が万事このような連中ばかりらしい。
その処理作業がなかなか進んでいないのであるが、それは支那側の国内事情によるもので日本側に責任はない。にもかかわらず、支那は日本が悪いとして二国間交渉ではなく、国際舞台にまで日本を引っ張り出して糾弾しようと企んだのであった。その解決を外務省は防衛省に依頼してきたので、弟が交渉の席に着いたのだという。建前上はともかく、支那の外交員は内々自国に問題があることがわかっているので、毅然とした態度で臨んだ弟の前では始めから譲歩しつつ日本に感謝の意を伝えたという。オランダ大使は弟によくやってくれたと、帰国前夜に労いの席を設けてくれたそうである。
外務省職員が腰抜けばかりだということは大問題なのだが、現場で相手方との外交交渉の席に着く者の身になってみろよと言わねばなるまい。政治家・評論家・学者らの殆どは自ら矢表に立たずして、自らは安全な場所で犬の遠吠えみたいなことをやっているだけだ。外交とはいかに胆力の要る仕事であるかを痛感したとのこと。一方で、交渉に当たる自分の背後には目に見えぬ先祖が力添えしてくれていることも、つくづく感じたそうである。
日清戦争後の三国干渉において「このたび干渉してきた露・独・仏に対して屈服せざるを得ぬと雖も、支那には決して譲歩してはならぬ」と事に当たった外務大臣陸奥宗光* に学ぶようにと、兄たる拙者からも一言しておいた。
* 陸奥宗光著『蹇蹇録』(岩波文庫) p.265に「露、獨、佛三國に對しては全然讓歩
するも淸國に對しては一歩も讓らずとの趣意を實行するの時機なり」とある

○ 歴史は真実の記録でなければ意味がない
さて、アメリカにしても占領政策に失敗した部分があるといえる。日本を再び立ち上がれぬようにとの意図があったが、日本の経済復興は予測できず、戦勝国のアメリカ国内に戦敗国の日本製品が溢れ返り、貿易摩擦問題まで引き起こした。軍事的には陸海軍を解散させたために、吉田に再軍備を拒否されて冷戦時代にはアメリカが自由主義陣営の日本を守らざるを得なくなり、今日の集団的自衛権の問題に至っている。
学校教育で近現代をしっかり学ばせるようにとの議論がある。歴史を古代から教えると、学年末までに近現代のページを紐解く時間がなくなるからだが、真実の記述でなければ教えないほうがよい。多くの論者が「戦争は絶対にしてはいけない」と簡単に言う。そんなことは当たり前過ぎて態々強調することではなかろう。大戦後70年近く経た今でも、世界各地で戦争や内乱が後を経たない理由は何だ。子供の喧嘩にしろ、国家間の戦争にしろ、相手あってのことである。戦争はスポーツではないのだから、負けたら最後とんでもない過酷な運命が待っている。勝った側も相当な痛手を蒙るのだが。
それでも戦わざるを得なかった当時の事情をしっかり学ぶべきである。そして陛下の大御心を拝すべきである。大多数の政治家や軍人が国民総動員でもって、座して滅びるよりも戦って死ぬ道を選んだとき、昭和天皇はどのように仰せられたのか。昭和16年12月8日の『宣戦の詔書』を学校教育の教科書に掲載して、特にそのなかで「洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ」を教えなければならぬ。世界で最も平和を希求されており、全世界の平和を日々祈っておられる陛下をいただく日本人に生まれたことへの感謝と誇りをもって、与えられた使命を果たすよう邁進したいものである。

○ 日本人本来の精神に戻れ
拙者が小学三年生のときの国語の教科書に「まきばのおうじ」という物語が載っていた。この話は、ある高貴な二人の王子がわけあって不遇な下僕生活をしていたところ、権勢ある豪族が訪ねてきた折に身分を明かし、名実ともに元の身分に復帰できたという話であった。
子供心におもしろいと思い、感動したこの話は実話であり、第二十二代清寧天皇が御子のないまま崩御され、皇統が絶えるかと思われたとき、重臣たちが苦心して皇統を求め、ついに顕宗天皇、仁賢天皇が皇統を継がれることになった経緯を物語にしたものであった。今の学校教育ではこんなことを教えないが、大事なことである。その後、継体天皇が皇統を継がれたときも同様であった。もし、これが外国であれば必ず革命が起こって、勢いある者が政権を奪い取り、別の国を建てるのである。同時に前の国の歴史も終焉する。
代々、御徳の高い万世一系の陛下をいただいてきた日本は、誠に有り難い国と言わねばならない。臣下は臣下で己の分を守り、決して野望を抱かなかった。足利高氏でさえ皇位は望まなかった。弓削道鏡は和気清麻呂公が退けられた。君臣の大義が守られてきた歴史をよく識っておかねばならない。これは、日本人が世界に誇ることのできる最上の道徳であり、美風である。悠久の今に生きる我々もまた、この道徳美風によって自己の心を清めていかねばなるまい。

○ もはや理屈の沙汰に非ず
有史以来、国家興亡を繰り返すことなく存在する国は世界中を探しても日本しかない。そこには伊勢神宮の御祭神である天照大御神の御子孫たる万世一系の天皇がおわしまし、私心なく宮中祭祀をつとめられ、「民安かれ、国平らかなれ」と祈られる尊い御姿がある。そして、わが父祖たちは陛下の大御心に添い奉り、忠勤に励んできた。「尊皇・敬神・崇祖は日本人の人たる道なり」と。
歴代の陛下は御即位の後、御親ら「大嘗祭」を斎行され、皇祖天照大御神と御一体になられる。上御一人の祈りが神々に届けられ、国民はこぞって伊勢神宮・出雲大社・各地の産須奈神社に参拝する。陛下の御祈りに神習って祈りの輪が広がり、全国各地でお祭りが行なわれ、皇室の弥栄・国家の安泰・五穀豊穣・万民の和楽を願い、感謝の祈りが捧げられる。それも遠く神代の昔から続けられている。習慣ではなく、これこそが伝統というものだ。
わが国において、君臣は敵対するものではなく、「君臣の道」が存在するのみである。判断の拠り所は、大御心が端的に示される御製にあると言えよう。陛下の尊さ、御立派さを語る人も多いが、どのように語ろうとも「あなたは天照大御神さまに逆らうことができますか」との問いにはグーの音も出ないことだろう。もはや理屈の沙汰ではあるまい。               (終)

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